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鶴ヶ城公園三の丸の記念碑・植栽エリアの整備について
【2015-08-18 (火)】

  当協会は、会津若松市の指定管理者として鶴ヶ城公園の管理運営を行っています。その鶴ヶ城公園の三の丸区域内には、会津水泳場や多目的広場(旧陸上競技場)とともに、秩父宮妃殿下の揮毫による会津万葉の歌碑や記念碑など本市の歴史に係る貴重な石碑等が存在するエリアがあります。この石碑等は、市の許可を得て設置されたものや市に寄贈されたものなどがありますが、その大部分は、時の流れと共に注目されることなく静かに佇んでいる状況にありました。そこで当協会では、秩父宮妃殿下がご薨去されて20年を迎える今年、この由緒ある場所と貴重な石碑等を広く紹介し、市民や観光客の皆様に、憩い親しんで頂くために改めて整備をすることに致しました。
  今後は、三の丸の観光駐車場北隣の区域を「三の丸の庭」と称し、多目的広場南側歩道沿いの区域を「記念碑の径」と称し、引き続き保全整備していくと共に石碑等を紹介する冊子を作成するなど、市民の貴重な財産として紹介していきたいと考えています。
 なお、このたび整備した三の丸の庭や記念碑の径をご紹介します。

「三の丸の庭」

秩父宮妃勢津子殿下は、最後の会津藩主松平容保公の四男恒雄様の長女としてお生まれになり、昭和3年、昭和天皇の弟君である秩父宮雍仁親王のもとに嫁がれました。この朗報に当時の会津若松市民は、「これで会津は賊軍の汚名が晴らされた」と歓喜の渦に包まれました。その秩父宮妃勢津子殿下が揮毫された会津万葉の歌碑が、昭和51年、会津若松葵ライオンズクラブにより設置されました。又、その前庭には昭和53年に、秩父宮妃勢津子殿下と松平容保公の子孫である松平保定様、元福島県知事の松平勇雄様が御手植えされた松があります。これは、秩父宮妃殿下ご成婚50周年及び明治戊辰110年を記念して御手植えされたものですが、当協会はこれを改めて整備いたしました。会津と皇室を結ばれた秩父宮妃勢津子殿下の想いが、この歌や松から感じ取れるものと思われます。

「記念碑の径」

このエリア一帯には多くの記念碑等が存在します。傷痍軍人の碑やシベリア抑留者慰霊碑などがありますが、その中に秩父宮妃勢津子殿下の御手植えの松と秩父宮殿下の弟君である高松宮殿下の御手植えの梅があります。高松宮殿下は、ご病気気味であった兄である秩父宮殿下をお慕いになっておられたとのことです。当協会はこれらを改めて整備いたしました。三の丸の庭の御手植えの松と共に、いかに本市と皇室がゆかりが深いかということが伺い知れるものです。

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